PROJECT


                
年度 プロジェクト内容
2020 Comprehensive Analysis of the Changes in Japan’s Trade due to the COVID-19 Pandemic.
Factors for Expanding Cross-Border E-commerce.
2019 Economic Impacts of Brexit on the UK Automotive Industry Digital Economy.
How does Development of ICT Affect Wage and Offshoring?
2018 The causal effect of pollution haven in Japan to Asian countries.
Evaluation of Chinese GVC activities with DVA index.
2017 Trade efficiency in physical and ICT infrastructure.
Effects of GVC on labor demand.
2016 Do FTSs Collapse Agricultural Production in Japan?
2015 Human capital and political corruption as an absorptive capacity.
Effects on wage level when Japan starts accepting immigration.
2014 Transport Costs: The Key Determinant of International Trade.
Does FDI Affect Economic Inequality?
The Impacts of Creative Exports on International Tourists: Based on Cool Japan Policy and Cool Korea Policy.
2013 The impact of international trade on economic growth - Measured by value added.
Can African economies grow with natural resources?
The impact of corporate tax rate on foreign direct investment.
2012 The Determinants of Foreign Direct Investment from Japan to Southeast Asian Countries.
The Effects of Foreign Direct Investment on Japanese Firm's Productivity in Electrical and Electronic Machinery Industry.
2011 Determinants of overseas production volume of Japanese automakers.
The impact of LCCs on inbound foreign tourism in Malaysia.
Technology spillovers from SEZs to surrounding non-SEZ regions: The case of Shenzhen.
2010 Effects of export-enhancing policies on welfare in a North-South oligopoly model: Subsidies vs tied aid.
Alliance in the steel industry.
2009 APEC〜2010年議長国としての日本の役割
日本農業の政治経済的分析と国際競争に向けての考察
2008 京都メカニズムと日本−経済モデル分析による温室効果ガス削減目標達成の方法の模索−
日本における食料自給率向上の経済分析
2007 日中韓FTA
インターネットと国際貿易
環境スタンダードと国際貿易
「輸送」が国際貿易に及ぼす影響
プロ野球選手の海外移籍
2005 知的財産権保護と貿易・海外直接投資
中国人民元切り上げ論争と今後〜人民元の適正レートを考える〜
WTOの現状と未来
2004 グローカル化の中の企業と技術移転
南北問題から見たサービス貿易自由化
2003 リサイクルと国際貿易
アジアのリージョナリズム
2002

欧州通貨統合の諸相
貿易と文化

2001 内外価格差の経済学
中国のWTO加盟
2000 NGOとグローバリゼーション
サミットの経済分析
資本のグローバリゼーションに伴う弊害と国際金融システムの脆弱性
1999 WTOの展望とその活動
1998 日本市場の自由化・国際化

<要旨>

  日本経済にとって戦後の半世紀は激動の時代であった。終戦後、荒廃の中からスタート した日本経済は、50年たった今、世界でも屈指の経済大国へ成長を遂げた。「貿易立 国」と呼ばれるように、天然資源に乏しい日本のこのような急速な発展は、諸外国との 貿易・投資が依るところが大きい。そして経済が次第に成長するにつれ、日本の政治・ 経済活動は世界経済に大きな影響をもたらすようになった。現在ではその一挙一動が諸 外国に注目されるようになった。
  そのような世界に注目されるようになった日本市場が、アメリカをはじめとする諸外 国に「閉鎖的」と指摘され始めたのは、急速な成長を続けていた1960年代頃からである。市場の閉鎖性が、日本との貿易・投資を妨げる障壁となり、世界経済を歪めてい ると批判されたのだ。実際、日本と外国との間に貿易や直接投資のインバランスが存在 し、内外価格差も大きい。序章の実証分析論文を検討によると、その原因として非関税 障壁の影響が大きいことも明らかになった。そこで本論文では、問題となった市場の閉 鎖性に焦点を当て、「日本市場の自由化・国際化」を歴史的、理論的に分析し、それを 通じて今後の日本市場のあるべき姿を考察してみようと試みた。
  戦後の経済復興は、朝鮮戦争による特需を契機に始まった。1952年に関税自主権 を回復すると、国内の幼稚産業を先進各国からの競争から防ぎ育成するため、関税率を 大幅に引き上げ、タリフエスカレーション構造の税率を賦課した。このことの理論的根 拠としては、幼稚産業保護論の観点から、将来時点において企業が自立採算を取ること ができる(ミルの基準)、保護育成による将来の社会的費用の割引現在価値が現時点で自 国が負う社会的費用を上回っている(パステーブルの基準)という自国産業保護の正当化 する2つの条件を満たしているから、という根拠があげられる。また同時に外貨割当措置 や輸入数量制限なども行った。外貨の獲得と自国産業の育成の必要から、日本政府は保 護主義的な行動をとった。しかし高度経済成長期が始まる1960年代、OECDへの加盟、IMF 8条国やガット11条国への移行し、国際社会の一員としての役割を求められるに従っ て、国際的要請に応じる形で徐々に市場自由化の路線が取られるようになった。それま で自国の産業の将来に対する不安から、自動車などの分野では幼稚産業保護を理由に保 護主義的な政策をとっていた。しかしこのような切迫した自由化・国際化の展望の下で 、産業政策を復興と経済自立のための産業振興から日本産業の国際競争力の強化へと方 向を転換する。60年代のガットのケネディ・ラウンド、70年代の東京ラウンドでは 、鉱工業品を中心に関税率を大きく削減し、鉱工業品に関しては平均関税率2%台まで 引き下げた。また数回に及ぶ投資の自由化により、対内投資も徐々に自由化されていっ た。対内直接投資が進んだ理由として、例えば水平的統合については、戦後の経済発展 を通じて日本の市場規模が無視できないほどの大きさになり、日本人のニーズに応える ための拠点が必要となったことが理論的側面としてあげられる。
  これらの交渉において、必ずしも積極的な姿勢ではなかった。しかし、保護主義政策 が欧米でとられ始めていた1970年代状況下で開かれた東京ラウンドでは、開催国と して国際的見地から関税・非関税障壁の撤廃に努力を払った。
  80年代、円高にともなって世界における日本経済の影響力がますます拡大する。そ れに追随するかのように、再び日本市場の閉鎖性が貿易を歪められているとアメリカに 非難され、今度は半導体や牛肉・オレンジ、保険などの分野で貿易摩擦が生じた。政治 と密接な関係にある農業、護送船団方式で保護されつづけてきた金融は、アメリカとの 二国間交渉に応じる形で、80年代後半になってようやく自由化・規制緩和が開始された。
  90年代に行われたウルグアイラウンドでは、コメを中心とする農産物の自由化が大 きな議題となり、日本は自給率を維持するという自国の戦略を優先させ、自由化には消 極的な態度であった。貿易自由化のもとでは利益を受ける経済主体と損失を被る経済主 体が存在する。この場合、前者は農産物の消費者、後者は農産物の生産者と考える事が できる。消費者の自由貿易を求めるインセンティブより、生産者の保護貿易を求めるイ ンセンティブの方が高いために、貿易自由化に消極的になったと考えられる。しかしや はり外圧に応じる形で、最後まで難色を示していたコメに関しても関税化を決定し、農 業部門でも自由化が段階的に進んできている。またこの時期から、大店法などの政府規 制や流通系列などの伝統的な商取引慣行などの非関税障壁が、参入障壁の原因として非 難の対象となった。89年には日米構造協議が開かれ、それらの非関税障壁が問題とさ れた。80年代まで「日本的経営方式」として世界から注目を集めた、系列・企業集団 システムに代表されるこれらのシステムは、戦後50年間の日本経済において、効率的 に機能し急速な経済発展の原動力となった。その主要素は、財・サービスの取引内容と 価格を確定する費用、契約交渉の費用、および契約の履行を確保するための費用などの 取引費用の抑制である。しかし、グローバルで自由な経済活動が進展している現在の状 況下、非競争状態を招く、あるいは資源配分が非効率的であるといったこれらのシステ ムの欠点が取引費用の抑制という利点を上回るようになってきた。その結果、これらの システムは非効率で国内産業の発展を阻害するだけでなく、さらに世界経済を歪めるも のとして国内外から改善が求められている。
1997 1, Trade and Competition Policy ---

要旨

  本論文では「貿易と競争政策」に関して、「競争は善、協調は悪」とする伝統的経済学 の通念と「競争は悪、協調は善」とする日本的競争間の検討を主軸とし、それに「効率 性か公正性か」というもう一つの軸を適宜適用することにより政府介入のあり方、理想 的な競争政策のあり方、競争政策が貿易に与える影響と貿易政策が競争に与える影響、 競争政策の制度間格差の問題等を考えていく。
  競争に関する2つの通念については、 本論文全体を通じて検討するが、我々の結論としては以下のようなものを考えている。 すなわち、「競争は善、協調は悪」として政府介入を一切排除し、競争を激しくするこ とが経済の効率性を高めるという競争観はごく限られた状況の下でしか成立せず特殊で 非現実的な面があり、また「競争は悪、協調は善」として、競争が激しい過当競争を招 きそれにより共倒れがおき厚生を悪化させるので政府の介入が必要であるとする日本的 競争観は、その競争観が実態化したものである日本の系列の問題や非関税障壁の問題で 各国の非難を浴びているので好ましいものということはできない。これらの競争観より 世界的に好ましいものがその間に存在するのではないか。この結論を各章から引き出し 、またその視点でもう一度各章を見直している。
もう一つの「効率性か公正性か」とい う軸は必ずしもトレードオフの関係にはならないが、その関係が成り立つ系列の問題な どでは片方の達成に偏って考えることは危険であるを理論的に示し、総合的な視野で判 断しなければならないと結論づける。以上のような2つの軸(に対する考え)を適用し 「貿易と競争政策」に関することを検討していく。
  競争政策を行うのは当然政府とい うことになるので、まず政府介入の必要性というところから考えていかなければならな いだろう。前述した「競争は善、規制は悪」という競争観から導かれる政府介入の不要 性や、同じく「競争は悪、規制は善」とする競争観に見られる政府介入の必要性が考え られるが、我々は我々の競争観からある特定の方向性への、すなわち市場での競争条件 の整備・維持という間接的介入の方向性への、政府介入の必要性があるのではないか、 と考えた。関税政策のような調節的介入にはレントシーキングを横行させ、無駄な費用 を生じさせたり、資源配分を歪めたりする恐れがあるということと、現在では「政府が 企業を選ぶ時代」は終わり「企業が政府・国を運ぶ時代」という時代背景になっている ことからこれからは社会的資源配分の視点、消費者の視点から、市場での競争条件の整 備・維持といった間接的な政策に中心が向けられるべきではないか、と考えた。
  政府 の介入・競争政策の必要性は認めたが、ではその競争政策の理想的なあり方はどうある べきであろうか、という問題がある。簡単にそれについての我々なりの答えを述べるな ら「何らかの原因により生じた無駄を排除するもの」といえる。すなわち効率性、公平 性を向上させ、現在何らかの理由で生じている無駄を縮小しよりよい状態を作り出すと いう役割を担っていると考える。 競争政策が貿易に与える影響とその逆の視点である 貿易政策が競争に与える影響であるが、その競争形態や収穫構造により全く異なった結 果が出るので決定的な結論は導出できなかったが、部分的な影響は第2部のそれぞれの 章で捉えることができたと言えるであろう。
  以上まで使用してきた古典的経済学や産 業組織論ではカバーできない制度間格差や国際協調については第3部で分析している。 制度間格差の例として日本の系列の問題を取り上げ、理論的に分析し、そこから発展さ せ国際的な視点からの取引システムのあり方を考えた。ここでは日本の系列取引はかな り効率的であるが、国際的な視点、すなわち貿易の観点からは非競争的かつ非構成的で あるとの結論を導出し、今後の方向性として、ある程度の閉鎖性の除去とある程度の長 期的な関係を維持、多様なシステムを認める、といった観点から公正な取引システムの 構築を挙げた。貿易政策と競争政策の各国間の調整では、それぞれ独自の文化、伝統的 ビジネス慣行、国家政策、国民意識があるので難しい問題があるが、各国間で競争政策 が異なっていると貿易縮小の可能性があるので、WTOが進めている貿易ルールの協調 と同時に、各国が容認できる競争政策における協調の基準の最大範囲を調査し明確なル ールの下で運営される競争政策の協調も進める必要性があるとの我々なりの結論を得た。


2, Trade and Environment ---

要旨

  本論文は、貿易・貿易政策と環境・環境政策とのかかわりを社会科学的観点から考察す ることを主な目的とする。簡潔に説明すると、貿易政策は貿易に何らかの影響を与えた り、また影響を与えないようにするための手段である。環境政策は環境に何らかの影響 を与えたり、また影響を与えないようにするための手段である。一方、ある時点の貿易 の状態から貿易政策への要請がなされ、同様にある時点の環境の状態から環境政策への 要請がなされる。何の政策もとられずに、環境が経済学的に価値が0、すなわちコスト がかからないものとみなされれば、環境の豊富な国において環境を生産要素とする財の 生産は過剰に行われ、その国は、コストの低いその財に特化する。また環境政策によっ て環境利用をコストとみなされれば、別の貿易パターンとなる。貿易の利益を得るため 国々は比較優位を持つ財に特化するが、その財の生産要素が環境だった場合、環境の破 壊が進む。ある国が他国の環境政策をかえるため、貿易政策をとる場合もある。 以降、 これらについて詳しく考察していく。
  本論文では、貿易と環境のかかわりの考察を試み ていることから「環境」の意味をとくに「自然的環境」(1994a、p.19)に限定する。 環境問題は当初「公害」と呼ばれ、地域的なものであったが、1980年代以降経済が急速 グローバル化し、それに伴って環境問題も地球規模のものになっていった。植田(1996) は、(1)環境の外部性、(2)地球規模環境破壊における加害者、被害者の不明確さ 、(3)環境問題に関する科学的知見や情報の不足、などが問題解決を困難にしている という。本論文ではこの地球環境問題を経済学的な側面から考察する。 環境問題が表 面化してくるにつれ、経済学の分野における環境問題の分析が注目されるようになって きた。経済学において、環境は「外部性」として捉えられる。これを放置しておくがた めに環境破壊が進んでしまうので、外部性を「内部化」するための方策が考え出されて きた。具体的には「課徴金制度」「補助金制度」「排出権制度」「直接規制」といった ものである。理論的には、これらの政策をとって環境破壊的な経済活動を抑えることに より、問題は解決するのであるが、現実にはそううまくいかない。これらの政策はそれ ぞれ性質が異なり国際経済において、比較優位のパターンに影響を与え、結果として貿 易パターンを変化させてしまうほどの力も持ちうる。よって政策当局者はどのような環 境問題にはどの政策がよいのかを的確に判断する必要がある。 また、これらの環境政 策は、GATT、WTOの促進するような自由貿易化に対立することが考えられる。現在の貿 易と環境の議論によって、3つのケースがある。1つ目は、ある国が自国の環境を守る と称して環境政策をとる場合、この政策が確実に環境保護を目的とすると考えられない ならば、GATT違反となるというものである。2つ目は、厳しい環境政策をとる国が、そ うでない国に環境保護を強いるため貿易政策をとるというものである。3つ目は、ある 国が、環境害を引き起こしている国あるいは輸出業者に貿易措置をとるというというも のである。環境問題と自由貿易の対立という観点から経済的な事例がGATTの場で協議さ れてきた。そのような中に越境的環境問題や地球的規模の環境問題に関する貿易紛争の 解決には国際的な協力が大切であるという考え方が広まっている。しかし、国際的なル ールが合意に至るまでには国際間の経済的な利害対立が解決されなければならない。 現状では、どの国も今日の環境問題の重大さを認識しており、問題解決に対する国際的 な協調姿勢はとれているように思える。問題はどの国がどのがどの程度コストを負担す るかに集約されるのではないだろうか。直観的には、先進国、途上国ともに均一にコス トを負担するというある意味での公平さよりも、先進国がより多くコストを負担すると いうもう1つの意味での公平さの法が受け入れやすいのではないだろうか。